こんにちは、ピンキーです!
本日は『激レアさん』に登場の漫画家・アーティストのバロン吉元さんについて紹介していきたいと思います。
『激レアさんを連れてきた。』予告公開です!
【6月30日(月)23:15〜テレビ朝日系列】若林さんと一緒にダンスして楽しかったな
ゲストの皆さんも大いに盛り上げてくれて
スタジオで思い切り遊んできましたよ!
娘のエ☆ミリー吉元も一緒に出演。
またとない機会、是非ご覧下さい!(Baron) https://t.co/FrxWw4Hfl8— バロン吉元@連載中『あゝ、荒野』 (@BaronYoshimoto) June 27, 2025
激レアさんでは次のように紹介されていました。
について知ることができます。
バロン吉元さんの破天荒で面白いエピソードや、凄すぎる人生や経歴について気になる方は、ぜひ最後までご覧ください!
バロン吉元が破天荒と言われる理由やエピソードまとめ!
さすが、戦前~戦後の昭和、平成、令和という時代を生き、デビューしてから55年経つバロン吉本先生!
今の時代には考えられないような破天荒エピソードを持ってらっしゃいました。
『激レアさん』でも紹介されていた竜巻エピソードも含めていくつか紹介したいと思います!
破天荒エピソード① 天罰の竜巻事件
人気シリーズのギャンブル漫画『賭博師たち』を執筆中のこと。
バロン先生自身もギャンブル場に通う生活をしていたそうです。
高台のアパートでアシスタント2人と一緒に仕事中の時に、急に竜巻が発生し、自分のアパートに向かってきたそうです。
絶対絶命のピンチ!!!
竜巻が通り過ぎるわずか30秒ほどの間に、ガラスは割れて飛び散り、天井に2メートルぐらいの穴が空いて、原稿も吹き飛ぶ始末。
締め切りに間に合わずに休載になったそうですが、この竜巻を『罰』と捉えたそうで、それ以降ギャンブルをすっぱりと辞めたんだそうです。

大怪我や命を落とす可能性もあったはずなのにこれぞ「不幸中の幸い」だったということですね。
破天荒エピソード② 手塚先生とアメリカ移住?
1980年代にアメリカのロサンゼルスに移住し、日本とアメリカの二拠点生活をされていた時期があったそうです。
当時、海外移住をする人は珍しい時代だったにも関わらず、なぜそのような生活になったのでしょうか。
その理由は手塚治虫先生の影響があったそうです。
当時、手塚先生を含む漫画家や編集者10人ほどで、アメリカに行ったときに、あの『マーベル・コミック』の編集長を紹介されたそうです。
アメリカで仕事をしたいという気持ちが高まり、日本に帰る飛行機の中で、お金を出し合ってロサンゼルスにプール付きの邸宅を飼おうと話しが盛り上がったのだとか。
結局みんなで移住する話は頓挫したのですが、東京にあった二軒の家のうち一軒を売って、なんと一人でアメリカ移住!!!
自然豊かな場所で1人だったので、すごく淋しく、唯一の友達だったスカンクと決闘したこともあるそうです。
決闘はスカンクの勝利で、部屋中に臭いにおいをまき散らされ、10日ほど自宅を離れて非難せざるを得なくなったとか。
それでも臭いが残るくらい強烈だったそうですよ(笑)
破天荒エピソード③ マーベルに持ち込み
アメリカに住んでいるときに、マーベル・コミックに作品を持ち込みしていたそうです。

娘のエミリーさんがマーベルで発表した短編の扉絵を公開してくださっていました!!!!!( ;∀;)!!!!!!
父がマーベル・コミックで発表した短編
『IN THE DESERT OF DREAMS』
の扉絵です! #激レアさん pic.twitter.com/icgWLvu9Je— エ☆ミリー吉元 (@_emilioemily_) June 30, 2025
当時のアメリカは、日米間の経済摩擦などから、日本を批判や避難する風潮が強い時期だったそうです。
生活する中で差別を受けることもあったそうですが、そんな時代背景の中でも、マーベルから「読み切り作品」の仕事をもらうことができたと言うから、本当に凄い方であることがわかりますよね!
連載が決まらなかったため、最終的にはアメリカを引き上げて日本に帰国したそうです。
破天荒エピソード④ バレなかった画家活動
デビュー以降、漫画家としてさまざまな作品を残してきたバロン先生でしたが、名前と絵のタッチを変えて絵画制作に没頭した時期があったそうです。

ジョジョ風でめっちゃカッコいい~!!
名前は『龍まんじ』で、なるべく劇画から離れた作品を描いていたそうです。
しかも、発表したり販売したりする気持ちはなく、描いた作品がどれくらい評価されるのかという興味だけで、約25年間世を忍びながら制作することに成功し、世間にバレることがなかったというのが凄いですよね。

他の作品もとんでもなくカッコいいです!!
明けましておめでとうございます!今年もバロン吉元とバロン.プロを、何卒宜しくお願い申し上げます。
とうとう2019年、#バロン吉元画業60年記念祭 が始まりますよッ!息つく間もなく、1月3日から弥生美術館での企画展「バロン吉元☆元年」がスタート!皆さん、お待ちしております!!(バロン吉元) pic.twitter.com/HRrmSmTIAa— バロン吉元@連載中『あゝ、荒野』 (@BaronYoshimoto) December 31, 2018
2015年以降は、娘さんであるエ☆ミリー吉本さんがマネジメントに入り、『龍まんじ』を封印し、バロン名で統一したことで、絵画を展示する機会も増えたそうです。
国内だけでなく、海外でも高い評価と人気を得ており、名前を変えても唯一無二のアーティストであったことを証明していますね。
▶ エミリー吉元(バロン吉元娘)は三足のわらじ!
バロン吉元の人生や経歴が凄すぎる!
出典元:@BaronYoshimoto
バロン吉元さんの人生は、まさに「壮絶」と言った言葉がふさわしいものでした。
裕福な幼少期
満州に生まれたバロンさんは、裕福な家庭で育ちました。
父親が転勤が多く、宿舎を転々とする幼少期を過ごしてきたそうで、移動で乗った汽車の絵を描いた記憶があるそうです。
1945年に終戦を迎えるが、父親が銃火器隠匿の容疑で逮捕されそうになってしまいます。
あと少しのところで父親の友人たちに助けられ、一家そろって貨車に乗り込むことができたものの、身を守りながらなんとか移動。
引き揚げ船に乗船し、日本へ帰国することができましたが、その道中の船旅は、船底に詰め込まれた状態で酸欠・栄養失調など悲惨なものだったそうです。
少年期~青年期
帰国後、両親の故郷である鹿児島の指宿市に住むことになったバロン少年。
少年時代から極貧生活を送り、中学校卒業後は定職に就かず、様々な職を転々としたそうです。
- 日雇い労働
- キャバレーのボーイ
- 劇団員 など。
社会をさまようような経験は、後に漫画として発表する作品にリアリティと深みを与えているように感じます。
バロン吉本さんの人生は、裕福・貧困・成功などを経たジェットコースターのような道のりです。
その中で経験したすべてが、漫画や絵画などの作品に凝縮されているからこそ、唯一無二なものとして評価されており、多くの人々に感動と影響を与え続けているような気がします。
バロン吉元の本名年齢wikiプロフィール!
出典元:エ☆ミリー吉元 X
【学歴】
- 出身小学校:指宿市立丹波小学校
- 出身中学校:指宿私立南指宿中学校
- 出身高校:鹿児島県立指宿高等学校卒業
- 出身大学:武蔵野美術大学西洋画科(3年で中退)
1960年~1970年代にかけて巻き起こった劇画ブームの全盛期を築いた漫画家の1人。
2019年度には、第48回「日本漫画家協会賞文部科学大臣賞」を受賞されています。
結婚されており、妻と娘の3人家族。
妻のれい花さんは刺繍アーティストで、長女の「エ☆ミリー吉元」さんは父親のマネージャーも務めているアーティスト一家です。
▶ 娘のエミリー吉元 & 妻の吉本れい花 さんについては⇩
バロン吉元の代表作は?
代表作は、1970年に第一作が発表された『柔俠伝シリーズ』
(じゅうきょうでん)です。
明治から昭和にかけての激動の時代を背景に、柔道一家・柳家の四代にわたる物語を描いた壮大な大河ドラマが人気です。

バロンさん自身も柔道は黒帯なんだって!
84歳となった2025年現在でも新刊『あゝ、荒野』を発表するなど、精力的に活動をされています。
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寺山修司/原作・バロン吉元/劇画
『あゝ、荒野』第1巻約20年ぶりとなる連載がついに単行本化
60年代の新宿に立ち戻った私の魂は
今どのように受け入れられるのか
84歳、画業65年目での挑戦です!
第1話は無料公開中、是非ご覧下さい▼https://t.co/I3WoqZ01ZX pic.twitter.com/cVVtMkB3xa— バロン吉元@連載中『あゝ、荒野』 (@BaronYoshimoto) April 20, 2025
バロン先生と人気漫画の『ジョジョ』の絵のタッチが似ている(逆?)と言われたりもしていますが、言わんとしていることは理解できます。
『劇画風の絵のジャンル?系統が同じグループ』ということですよね。

菅田将暉さんが主演の長編映画にもなっているんですよ!!!
芸名の由来は本名から?
バロン吉元さんの本名は吉元正(よしもとただし)さんと言います。
芸名はご自身が希望したものではなく、当時の編集部が勝手につけたものだそうです。
活動当初は本名だったそうですが、1967年に「漫画ストーリー」に掲載された読み切り『ベトコンの女豹』から、突然 ”バロン吉元” という芸名に変更されてしまったそうです。
ご本人は、勝手に名前が変更されたことに怒って、編集部に怒鳴り込んだそうです。
しかし、当時の編集長・清水文人さんに「バロンとは男爵の意味。日本で例えると侍大将クラスなんだぞ!」と言われたそうです。
また、過去のバロンの愛称で呼ばれた有名人を引き合いに出されたそう。
結果的に”バロン吉元”の名前を受け入れることになったんだとか。
確かに説得力はありますね!!
編集部としては本名では地味すぎると考えて、インパクトのある目立つ名前に変更したのかもしれませんね。
バロン吉元が破天荒と言われる理由やエピソードまとめ!人生や経歴がすごすぎる【激レアさん】
今回は、バロン吉元さんの破天荒で面白いエピソードや、凄すぎる人生や経歴について調査しました。
- バロン吉元が破天荒と言われる理由やエピソードまとめ!
- バロン吉元の人生や経歴が凄すぎる!
- バロン吉元の本名年齢wikiプロフィール!
本日も最後までご覧いただきありがとうございました。
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