こんにちは、ピンキーです!
本日は、手描きの映画看板絵師として活躍されている八条祥治(はちじょう しょうじ)さんについて紹介したいと思います。
八条祥治さんの職人歴は40年以上だそうで、手描きの映画看板絵師としては「最後の職人」と言われています。
この記事では、
✅八条祥治wikiプロフィール
✅映画看板絵師の経歴は?
✅出身大学や高校など学歴は?
✅両親や嫁・子どもなど家族構成は?
について知ることができます。
これらのことが気になる方は、ぜひ最後までご覧ください。
八条祥治(映画看板絵師)の作品はどこで見られる?
八条さんは大阪府大阪市西成区で「八條工房」という手描き映画看板制作工房を経営しています。
映画館『新世界国際劇場』
そこからほど近い場所にある「新世界国際劇場」という映画館で八条さんの作品を見ることができます。
新世界と言えば『通天閣』で有名な場所ですね!
【電話番号】06-6641-5931
【最寄り駅】恵比寿町駅・動物園前駅
【決済方法】現金のみ
TOHOシネマやMOVIXなどの大手映画館では絶対に見ることのできない、昭和レトロと令和の現代が見事に融合!!
なんとも言えないカッコよさがあり、フォトジェニックでインスタ映えしそうな雰囲気ですよ!!
入館前からいつもとは違うワクワク感が止まりません。
ただ、古い映画館なのでペイペイなどの電子マネーやカードは使えませんので現金をお忘れなく!!
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八条祥治(映画看板絵師)のwiki経歴プロフ&家族構成は?
ここでは、八条祥治さんの出身地や年齢などのプロフィールと家族について・映画看板絵師の経歴についてまとめました。
八条祥治のwikiプロフィール
出典元:THE WORLD NEWS
家族構成は?妻や子供はいる?
看板絵師としての経歴は?
1980年に父親(孝昌さん)が勤めていた映画看板の制作会社がなくなることになったため、父親が独立して仕事をすることになったそう。
その時(23歳)から父親の元で、映画看板絵師としての修行を積むことになったそうです。
元々は建築会社でサラリーマンとして仕事をしており、絵を描くこととは全く無縁だったそうです。
スキルがあるわけでもなく、映画館の裏方として働きながら技術を磨いて修行をしていきました。
父親にアドバイスをもらいながら、自信の画風というものを築き上げる中で、八条さんの作品のファンが増えていったそうです。
まさに職人さんの仕事という感じですね。
2007年9月に父親がガンで入院したことをきっかけに1人で描くことに(享年76歳)
2000年代初めまで、梅田や道頓堀、和歌山などの東映直営館に看板があったそうですが、時代とともに映画館の閉館が相次ぎ注文も激減。
大阪で活躍する最後の映画看板絵師が八条祥治さんとなるそうですが、時折来る弟子入り志願者も「仕事が少ない」という理由でお断りしているそうです。
仕事として考えると、どうしてもそうせざるを得ないのが、寂しくもリアルな現実なのだろうと思います。
八条祥治(映画看板絵師)の出身大学や高校など学歴は?
過去のインタビュー記事などを調べてみましたが、出身大学や高校など学生時代についての情報はみつかりませんでした。
父親が設立した映画看板制作会社『八條工房』に転職する前は、もともと普通のサラリーマンをしており、絵に関する仕事をしていたわけではないこと。
また絵の勉強は父親の仕事を「目で盗む」という感じと話しておられたこと。
それらを考えると、高校も大学も芸術関係の学校というわけではなさそうです。
絵を専門的に学んだわけでもなく、父親からのアドバイスと技術を盗んでスキルを身につけたのは、まさに『職人技』で教科書的に残せる技術ではない難しさが感じられますね。
まとめ|八条祥治(映画看板絵師)が凄い!wiki経歴&出身大学など学歴や家族構成は?
今回は、大阪に残る「最後の職人」手描き映画看板絵師の八条祥治さんについてまとめました。
- 八条祥治さんの手描き映画看板(作品)が見られる場所は映画館『新世界国際劇場』
- 八条さんの年齢は68歳で出身地は大阪市。
- 後継者はおらず、妻や子供はいない可能性が高い。
- もともとはサラリーマンで脱サラをして父親の映画看板会社『八條工房』に23歳で転職する。
- 出身大学や高校についての情報はないが、芸術系ではなさそう。
今では日本全国でもほとんど見られなくなった手描きの映画看板ですが、令和の今でも見ることができると知って驚きました。
大阪の観光名所の1つとして、新世界の映画館『新世界国際劇場』が取り上げられてもいいくらいの価値があるのではないでしょうか。
ぜひぜひ大阪観光の際は、隠れ観光名所として実物をみることをお勧めしたいです!!!
本日も最後までご覧いただきありがとうございました。
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