こんにちは、ピンキーです!
本日は、電子コミックで人気の『大蛇に嫁いだ娘』についてお伝えしていこうと思います。
『大蛇に嫁いだ娘』は、そのタイトルの通り、不幸な境遇の村娘であるミヨが、供え物として山奥に住む大蛇に嫁ぐという名目で差し出されるというところからお話が始まります。
最初こそ、ミヨも食べられてしまうと思い、大蛇に怯えていたのですが、ミヨをいじめて苦しめていた村人たちに比べて、大蛇の方がずっと心優しく大切に接してくれます。
しかし、『僧侶』だけは別です。大蛇は山に寄せ付けるのも許さないほど僧侶を嫌っています。
その理由がわかるのが3巻です。
現在『大蛇に嫁いだ娘』は6巻まで進んでいます。
\1~6巻まとめ買いがお得!/
読み進めていくうちに、「僧侶を嫌っている理由」が何だったか詳細があいまいになってきたので、
モヤモヤを解消すべく、過去にさかのぼって読み返してみたので忘備録もかねて記事にしています。
私と同じように
✅僧侶との因縁
という疑問を持った方で、「読み返すのは面倒だなあ」という方は、こちらで内容を確認していただければと思います。
これらのことが気になる方は、ぜひ最後までご覧ください。
大蛇が僧侶を嫌いな理由は?過去からあった因縁とは
大蛇が『僧侶』を嫌う理由は3巻に描かれています。
3巻は、終始『大蛇の過去』の回想シーンになっています。
始めにネタバレになりますが、ミヨが嫁いだ大蛇は『白蛇』です。
そして回想シーンに登場するのは『黒蛇』です。
3巻の最後で『黒蛇』は雷に打たれて息絶え、その体の中から生まれたのが『白蛇』で、『黒蛇』の時の記憶を持っています。
輪廻転生??人間でも生まれる前の記憶を持つ人がいるという話は聞いたことがありますよね。
そういうわけで、僧侶とは『黒蛇』の頃からの恨みつらみがあり、前世からの因縁がある相手ということなんです。
一度読んだはずなのに、私はすっかり忘れてしまっていました。
では、いったい『黒蛇』の頃にどのような出来事があったのでしょうか??
そこには2つのはっきりした理由がありました。
理由その1
「ちくしょう!!馬鹿にしやがって!!!」
「もうこりごりだ」
「人間なんて畜生だ 大嫌いだ」
「どうせ最後は捨てられる」
これは、大蛇が人間や僧侶を嫌いになったきっかけになるエピソードです。
いったい何があって、大蛇はこのような心境になったのでしょうか?
山の神『黒蛇』の誕生
山深くにひっそりと住む『黒蛇』はある時”山の神様”として村人に崇められるようになりました。
村人が野菜などのお供え物を持って黒蛇のところに「雨を降らせてくれてありがとうございます」と笑顔でやってきます。
ところが日照りが続き作物が育たなくなり、人々は飢餓に苦しみます。
村人は黒蛇にお願いします。
「大蛇様・・・雨を降らせてください」と。
黒蛇はなんとか雨を降らせようと考えますが、ふと疑問に思います。
「俺はもともと雨をふらせられたのか?」・・・・
実は、村人は勝手に大蛇を山の神様で雨を降らせてくれていると思っていたことがわかります。
「偶像崇拝(ぐうぞうすうはい)」とは少し違いますが、似たようなものに感じました。
「偶像崇拝」は神仏を具象化した像などを、信仰の対象としてあがめ尊ぶことですが、
ここでは『黒蛇』を信仰の対象として村人たちが供物を持って祀り始めたということだと思いました。
日照りが続く村にやってきた『僧侶』
そんな中、一人の旅の『僧侶』が村にたどり着きます。
長旅に疲れていた『僧侶』は、そろそろ落ち着ける場所を探していました。
そして辿りついたこの村を安住の地にしたいという『欲』から、適当なウソで村人をだまそうとします。
「この地に雨が降らないの理由をお教えしましょう」
「それは黒蛇のせいだ」
「あれが水を横取りしています」
飢餓に苦しむ村人はワラにもすがる思いで僧侶に助けを求めます。
「黒蛇を退治してください」
もう信じられへん!!僧侶も村人もひどい!!特に僧侶!!
天気予報もない時代だし、僧侶っていうだけで信用があった時代だろうから、簡単に信じてしまったんでしょうね。
ご飯も食べれず正常な判断ができなかったにしても、『山の神様』として祀っていたのに、都合よく『悪者』にできるなあ・・・集団って怖いなあと思いました。
『僧侶』に討伐される『黒蛇』
「すまないな 黒蛇よ」
「だが 私はもう腰を据えたいのだよ」
と言い、山奥にただ住んでいただけの『黒蛇』に術をかけて討伐します。
また、都合のいいことに、そのタイミングで雨が降り始めました。
その時の『黒蛇』の心の声が涙を誘います。
「雨・・・そうか 俺が死ぬから・・・」
違う!違う!!
でも村人の喜ぶ姿をみて、自分が倒れて雨が降って来た事実を見てそう感じたようです。
この段階では、『黒蛇』は『僧侶』を憎んではいません。
自分に心当たりはなくても、雨が降らなかったのは自分のせいだったのだと受け入れているような感じですよね(涙)
優しい人が傷つき損をするなんておかしい世の中ですが、それが世間でもあると現実を突きつけられているような気持になり、胸を締め付けられます。
『僧侶』の本音
打って変わって、『僧侶』の方は見た目や地位はあるかもしれませんが、中身は最悪です!!
「都合よく雨が降るとは天も私に味方のようだ」
「勝手に愛されて憎まれて・・・可哀相に」
「この地は私に任せて安心して眠りなさい」
いやいや、なにが可哀相にだ(怒)!!
『黒蛇』のせいで雨が降らないわけではないと知りながら、私利私欲のために、『黒蛇』を悪者にして討伐し、村人の信用を得て、この地に居座ろうとしているだけなのに!!!
これを聞いた『黒蛇』は、最後の力を振り絞り、怒りで反撃しようとしますが、『僧侶』の術によりその場に倒れます。
『黒蛇』はずるずると体を引きずりながら、山奥の沼に帰っていき、人間に裏切られた傷を負ったまま、ひっそりと一人で生活することになります。
心の傷を一人で抱えながら、月日だけが経っていったということですね。
一方的に「裏切られた」「傷つけられた」という事実が長い年月を経て心に積もっていくでしょうから、人間や僧侶を嫌いになってもおかしくない出来事です。
理由その2
理由その1のエピソードのように、黒蛇時代に人間に裏切られ、一方的に傷つけられるという体験をした大蛇。
その後は、森の奥深くの沼に隠れるようにして、ひっそりと生活をしていました。
沼の近くには「大きな美しい梅の木」があり、それを目当てにやってきた一人の少女『キヌ』と出会うことになります。
『僧侶』を恨むことになるもう一つのエピソードは、いったいどのような内容なのか見ていきたいと思います。
人間「キヌ」との出会い
人間に会うことのない、山の奥深くの沼に住んでいた大蛇の元に、一人の少女『キヌ』が現れます。
『キヌ』は大蛇を見ても怖がることも崇めることもせず、大蛇を一つの生き物として接します。
大蛇は『人間』を追い払おうとしますが、沼の横にある美しい梅の木はみんなの物だと主張し、
『キヌ』は大蛇の元にことあるごとにやってきては、大蛇に語り掛けます。
『キヌ』の生い立ち
『キヌ』はまだ少女ですが、両親はおらず、食べ物も家もない孤児でした。
それを拾って育ててくれているのは「おじいちゃん」と呼ばれる『僧侶』でした。
皆さんは、もうお気づきだと思いますが、「理由その1」で登場した性悪僧侶です。
『キヌ』は将来自立したいという夢を持っていたため、村人に身体を売ってお金を稼いでいました。
「おじいちゃん」である『僧侶』はやめさせたいと思っていますが、『キヌ』は夢のために、心を削りながらもやめる意思はありませんでした。
『キヌ』の唯一の安らぎ
そんな身も心も削りながら生活をしていた『キヌ』の唯一の心の癒しが、大蛇の住む沼の横の「美しい梅の木」でした。
そんな『キヌ』を遠目に観察していた大蛇は、森の中の他の動物にキヌが襲われないように密かに守ってあげたりしていました。
心根が優しいから、危険な目に合うかもしれない人を放っておくことができないんですね。
人間よりも人間らしい。
そういった関係の中で、徐々に2人は会話をするようになり親しくなっていきます。
そして、まだ少女である『キヌ』の心の中の傷や悲しさを感じ取っていきます。
こうして『キヌ』を通して、知らず知らずのうちに、過去に因縁のあった『僧侶』と『黒蛇』が接点を持つことになっていきます。
家に帰りたくない理由
『キヌ』は家に帰りたくなさそうですが、それは安息の地である「梅の木」から離れたくないというだけではありませんでした。
実は、衣食住を与えてくれる「おじいちゃん(僧侶)」からも虐待を受けていたのです(涙)
「飯も寝床もタダなものは無いってことか」とあきらめて心を無にして僧侶の身体を受け入れているのは最悪でした。
老いた僧侶は自分の寂しさを紛らわすために、美しくて若いキヌを自分の物にしたいという私利私欲で虐待していたのです。
昔と心根がなんにも変わっていません(怒)!!!!!これで読者からも徹底的に嫌われました!!
こんな生活してたら、そりゃ『大蛇』なんかよりも、自分を虐げる『人間』(村人や僧侶)の方が恐ろしいし、
『人間』のいない山奥が心が安らぐに決まっています(涙)悲しい・・・
生きることに疲れた「キヌ」
心身ともに荒れ果てた生活を送っていたキヌは、とうとう生きることに疲れるような体験をします。
お客である村人に首を絞められ暴力を振るわれてしまいます。
寿命が近い大蛇は、キヌに言います。
「おまえの若さが羨ましい、妬ましい」
それに対してキヌが言った言葉が、何度読んでも涙が出てしまいます。
「生き方が選べなきゃ死んだも同じ」
首や体が傷だらけになりながら人生に絶望して立ち尽くすキヌを見て、大蛇はイライラしながらも、
自分が食べてしまうと怖がらせて生きることへ気持ちを向かせようとします。
しかし、キヌの気持ちに変化はなく、大蛇になら食べられてもいいとやさしく微笑みます。
そのあと大蛇はキヌを飲み込んでしまいました。
この場面では、なんとも言えない気持ちになりました。
大蛇に飲み込まれることで地獄から救われたという側面もあると思うからです。
また、大蛇の立場に立ってもつらい内容でした。
大蛇もたった一人の心通わせた大切なキヌ(人間)の命を自分の手で終わらせるというのもまた地獄。
しかし、大蛇に飲み込まれるということで、「自分の意志で自分の生き方を選択した」とも言えると思うのです。
いろいろな感じ方はありますが、少なくとも私はそのように感じました。
その後、キヌを失った僧侶が『黒蛇』に術をかけたことで、黒蛇は「おじいちゃん」と『因縁の僧侶』が同一人物であったことに気づきます。
『黒蛇』と『僧侶』因縁の対決の結末は?
最後に、『黒蛇』と『僧侶の』戦いはどう終結したのか???
精神的には黒蛇の圧勝!!!でした。メンタルを追い込む口論での戦いも何度みても見物です!!
キヌが体の一部となり、キヌと一つになった『黒蛇』は最後に雷に打たれて最後を迎えます。
沼の中で朽ちていく『黒蛇』の肉体。
その体の中を破って出てきたのが、黒蛇の記憶を持つ『白蛇』、現在のミヨをお嫁さんにした『白蛇の大蛇様』という流れでした。
この辺もうろ覚えでした。読み返してよかった!!!
感動の『過去の回想』だったのですが、
「あれ!?蛇って卵から生まれるんじゃなかったけ??」と思ったのは私以外にもいるハズです。
調べてみると、ありました!!!!
ほとんどが卵から生まれるそうですが、種類によっては「卵胎生」と言って、お腹の中で卵がふかして、小さな幼ヘビが直接生まれることもあるそうです。
知らなかった~!!賢くなりました!!!
まとめ|大蛇に嫁いだ娘 大蛇が僧侶を嫌いな理由は何?過去の因縁とは
今回は、大蛇様が人間、特に『僧侶』を嫌い憎む理由を整理してまとめていきました。
はっきりとした理由が2つありましたね。
- 人間の身勝手さや欲深さによって、一方的に裏切られたり、傷つけられたりしたから。
- たった一人愛情を持って心を通わせた「ミヨ」という少女を心身ともに苦しめた人間と僧侶への恨みがあったから。
どちらの理由も、嫌いになって当然というか、憎悪されて当然という内容でした。
この『大蛇に嫁いだ娘』という漫画の中には、僧侶がたくさん出てきて「いい僧侶」「悪い僧侶」どちらも出てきます。
「人は恨みだけでは生きていけない」
「恨みの気持ちを次の世代に引き継ぐこととは」
「恨みの気持ちを断ち切るためには」
などなど・・・『大蛇に嫁いだ娘』という漫画にはいろいろなメッセージが隠されているような気がしています。
「蛇」が苦手な方もこの漫画にハマってしまう理由はそんなところがあるのではないかと思っています。(※私自身もそうでした)
物語が進む中で「いい僧侶」に家族が助けられるという場面も出てくるのですが・・・それはもうすこし先のお話なのでここではおいておきます。
\1~6巻まとめ買いがお得!/
本日も最後までご覧いただきありがとうございました。
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