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オマーン元日本人女性のスワーダアルムダファーラは何者?年齢や本名・4度の結婚と離婚や子供たちとの激動の人生について

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こんにちは、ピンキーです!

本日は、8月21日の『徹子の部屋』に出演されるスワーダ・アル・ムダファーラさんについて紹介したいと思います。

 

画像出典元:ラジオ日本

 

スワーダ・アル・ムダファーラさんは名前や見た目からは想像できませんでしたが、実は元日本人の女性です。

ひょんなことがきっかけで、中東の国・オマーンに移住し、波乱万丈な人生を経て、学校をつくったのだとかΣ(・□・;)

 

恥ずかしながら、今まで全く存じ上げなかったのですが、

中東の国・オマーンで尊敬を集める元日本人女性、「世界が尊敬する日本人100人」にも選ばれた

という凄い人だということです。

 

スワーダ・アル・ムダファーラさんは一体何者なのでしょうか。気になりますね!

 

年齢や本名(旧名)などプロフィールや、4度にも渡る結婚・離婚歴子供など、どのような生い立ちや人生を送ってこられた方なのかを深堀していきたいと思います。

 

この記事では、

スワーダ・アル・ムダファーラは何者
年齢本名wikiプロフィール!
壮絶な人生とは?4度の結婚と離婚や子供たちについて

について知る事ができます。

スワーダさんが日本人からオマーン国籍を取って、イスラム教に改宗・結婚離婚を経験し、子どもたちのために学校を設立するに至った、波乱万丈な人生について気になる方は、ぜひ最後までご覧くださいね。

 

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オマーン元日本人女性のスワーダ・アル・ムダファーラは何者?

スワーダ・アル・ムダファーラさんは、オマーン国籍を持つ元日本人女性で、1990年にオマーンの子どもたちのために現地に私立学校を設立した人物です。

日本で結婚・出産・離婚を経験しシングルマザーとして生活していたスワーダさん(旧名:森田さん)

オマールへの移住・改宗・オマール人との3度にわたる結婚と離婚など・・・・

 

「世界が尊敬する日本人100人」にも選ばれたスワーダさんの山あり谷ありの人生はどのようなものだったのでしょうか。

この後は、スワーダさんの本名(旧名)や年齢・経歴などを当時の時代背景とともに紹介したいと思います。

 

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スワーダ・アル・ムダファーラの年齢や本名wikiプロフィール!

出典元:ラジオ日本

【名前】スワーダ・アル・ムダファーラ
【本名】森田美保子(旧名)
【出身地】東京都立川市

【生年月日】非公開
【年齢】推定70歳前後(※2025年8月現在)

東京都出身で藤村女子中学校・高等学校を卒業したスワーダさんは、銀行に就職します。

結婚、出産を経て1人の子どもを授かり日本で普通に生活していました。

カルチャースクールを開設しますが、その後離婚しシングルマザーに。

1979年 文化使節団の一員として建国式典開催中のオマーンを訪問。

 

琴、茶道、華道の免許を持っていたことで文化使節団に抜擢されたそうです。 もしかするとこれら日本の伝統文化を教えるカルチャースクールだったのかもしれませんね。

 

「オマーンの女性に日本の心を教えて欲しい」と言われ、再度オマーンに招待されて現地にとどまることになり、後にイスラム教に改宗します。

 

日本人女性で初めてオマーン人に帰化した人物でもあるそうです。

 

スワーダさんを語る上で、その当時の時代背景は無視できません。

 

後にオマーンで学校を建設し校長を務め、質の高い教育をオマーン人の子どもたちに提供し、『世界が尊敬する日本人100人』にも選ばれる・・・

そんなスワーダさんの人生に深く関係しているように思えたので、この後、時代背景について少し説明したいと思います。

 

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1970年代中頃の日本と女性のライフスタイル

1970年代中頃の日本の女性は、社会進出が進み始めたころですが、依然として「専業主婦」が理想とされる時代です。

多くの女性は高校や大学を卒業後、就職して結婚し、専業主婦となるのが一般的なライフスタイル。

 

ある意味スワーダさんは、「就職-結婚-出産」と一般的な女性の人生を歩んでおられたことがわかります。

 

一方で、1970年代中頃から、離婚件数が増加していく時代でもありました。

 

ただし、現在と違って子どもの扶養手当などの公的な支援制度はありませんでした。

 

ちょうど「女性の社会進出や経済的自立などの新しい時代」へと移り変わっていく過渡期だったんですね。

 

ただ、そんな時代背景の中でも、カルチャースクールの開設をしたり、離婚に踏み切りシングルマザーになるなどの行動をみていると「困難があっても常に前に進んでいく」そんな力強さを感じました。

 

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スワーダ・アル・ムダファーラの壮絶な人生とは?4度の結婚と離婚や子供たちについて

1度目の結婚と離婚は日本に住んでいた頃の出来事でした。

オマーンに移住し、シングルマザーとして生きていましたが、現地の男性にプロポーズされ再婚することに。

 

  • 1983年 オマーン国籍を取得し、オマーン人男性と結婚
  • 1990年 「アザン・ビン・ケイス私立学校」を設立し校長を務める。

2003年にこの学校は幼稚園から高校までの一貫校となり、高い学力を誇る名門校に成長しました。

ただただ、スゴイとしか言いようがないです。

 

2011年 校長職を引退。その時の生徒数は約850人に!

現在は、ライフコーチとして活動しており、オマーンと日本の交流を支援しています。

 

オマーンの結婚制度 ”一夫多妻制” について

4回の結婚と離婚経験があることは間違いありませんが、2回目以降についての結婚や離婚の時期・子供の有無など詳細はわかりませんでした。

『徹子の部屋』で詳しくお話してくださるかもしれませんね。

 

ここでは、オマーンの”一夫多妻制”について少しお話したいと思います。

オマーンの結婚制度は、イスラム教の教えに基づいており ”一夫多妻制” となっています。

男性は最大4人まで妻を持つことが可能ですが、すべての妻と家族を平等に扱うことが条件とされています。

 

そのため、実質的には金銭的に裕福な男性に限られているそうです。

人数決まってたんですね!!無限に可能なんだと思っていました! スワーダさんのオマーン人の元夫は、3人ともお金持ちだったということですね。

 

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まとめ|オマーン元日本人女性のスワーダアルムダファーラは何者?年齢や本名・4度の結婚と離婚や子供たちとの激動人生について

今回は、スワーダさんが日本人からオマーン国籍を取って、イスラム教に改宗・結婚離婚を経験し、子どもたちのために学校を設立するに至った、波乱万丈な人生について調査しました。

  • スワーダ・アル・ムダファーラは何者?
  • 本名や年齢wikiプロフィール!
  • 壮絶な人生とは?4度の結婚と離婚や子供たちについて

 

情熱と行動力にあふれた日本人女性がオマーンという遠い国で活躍されていたことに感動!

近々、大阪・関西万博に行く予定なので「オマーン館」に行ってみてどのような国なのか少しでも感じてみたいと思いました。

 

生きる力や勇気・元気を与えてもらえるようなエネルギーのある方で、今回『徹子の部屋』を通して深く知る機会ができてよかったです。

本日も最後までご覧いただきありがとうございました。

 

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