こんにちは、ピンキーです!
本日は、『パリパラリンピックで金メダル第1号』を獲得された鈴木孝幸(すずき たかゆき)選手についてお伝えしていこうと思います。
鈴木孝幸選手は過去にもパラリンピックに出場した経歴があります。
- 2004年 アテネパラリンピック 銀メダル(メドレーリレー)
- 2008年 北京パラリンピック 金メダル(50M平泳ぎ)
- 2008年 北京パラリンピック 銅メダル(150M個人メドレー)
- 2012年 ロンドンパラリンピック 銅メダル(50M平泳ぎ/150M個人メドレー)
- 2016年 リオパラリンピック
- 2021年 東京パラリンピック 金メダル(100M自由形)
- 2021年 東京パラリンピック 銀メダル(50M自由形/200M自由形)
- 2021年 東京パラリンピック 銅メダル(50M平泳ぎ/150M個人メドレー)
- 2024年 パリパラリンピック 金メダル(50M平泳ぎ)
- 2024年 パリパラリンピック 銅メダル(50M自由形)
2004年に、17歳で初めてオリンピックに出場してから、2024年37歳になった現在まで、5回もパラリンピック日本代表として出場している大ベテラン選手です。
日本競泳チームの主将も務めたことがあり、パラ水泳を牽引してきた実績があり、頼りになる鈴木孝幸選手は、2024年のパリパラでは、自己ベスト更新で日本新記録を更新も達成されました!
そんな鈴木孝幸選手がどんな方なのかと思い調べてみると、壮絶な生い立ちを経て現在があることがわかりました。
またその裏では、育ての親である祖母の存在が大きいこともわかりました。
この記事では、
✅鈴木孝幸選手の育ての親は祖母
✅祖母は元保育園長でどんな人?
について知ることができます。
これらのことが気になる方は、ぜひ最後までご覧ください。
鈴木孝幸選手の生い立ちが壮絶!両親が失踪し現在は?
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出典:Instagram(taka_suzuki_ofcl)
鈴木孝幸選手は、生まれながらにして、両手・両足に障がいを持つ先天性の四肢欠損で状態で誕生しました。
右腕は肘から先がなく、左腕も指が2本欠損しています。
右足は付け根付近から無く、左足も膝から下がない状態です。
両親の育児放棄と失踪
鈴木孝幸(すずき たかゆき)選手のご両親が育児放棄し、失踪されたのが2歳の頃だそうです。
鈴木孝幸選手の実の両親は、当時保育園の園長をしていた母方の祖母である小松洋さんのところへ鈴木孝幸選手を置き去りにして失踪してしまいました。
鈴木孝幸選手の実の両親が、どのような方かはわかりませんが、先天性の四肢欠損という鈴木孝幸選手の障がいの重さを受け止めきれなかったのかもしれません。
それ以降、現在に至るまでご両親の消息は明らかになっておらず、交流もないようです。
家族のことは家族と本人にしかわからないのでなんとも言えませんが、ただただ悲しい気持ちになりました。
この出来事が2歳の頃だということです。ほとんどの人は2歳半までの記憶はあまり覚えていないということなので、鈴木孝幸選手がご両親のことをどれだけ記憶しているかもわかりませんね。
鈴木孝幸選手の里親は祖母(元保育園の園長)
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母方の祖母である小松洋さんのところに、2歳の鈴木孝幸選手を置き去りにして両親は失踪してしまいました。
祖母は自分の子どもである娘(息子)が突然いなくなって、自分の子どもを失ってしまったということに直面したショックもあったのではないかと想像します。
小松洋さんは、当時保育園の園長をしていましたが、鈴木選手を育てると決めたときに、保育園の園長を辞め、送迎のために普通自動車免許も取得したそうです。
「重度の身体障がいを持つ鈴木選手を自分の手で育てていくんだ」という覚悟がものすごく伝わってくるエピソードです。
ご両親も保育園の園長をする祖母なら、大切に育ててくれるのではないかと考えたのかもしれません。
養子ではなく里子として祖母の元へ
覚悟をもって引き取ることを決めた小松洋さんは、鈴木孝幸選手を養子ではなく里子として引き取りました。
養子にしなかった理由は、小松洋さんがいなくなった後も自立していってもらいたいという希望からわざと違う姓で育てたかったという方針があったそうです。
祖母と名字が違うのはこういった理由があったのですね。
祖母の愛情と水泳との出会い
鈴木孝幸選手が水泳に出会ったのも小松洋さんの教育方針だったそうです。
小松洋さんの「水泳は一番自立心が養えるスポーツ」との考えから、鈴木孝幸選手が幼稚園に入る前の6歳の頃から水泳を始めさせたそうです。
体力をつけるために水泳を始めるというのはよく聞きますが、自立心が養えるというのは初めて聞きました。
日常生活でも、小松洋さんの子育ては、障がいがあるからといって特別扱いせず、他の子たちと同じように育てるようにしてきたそうです。
小学校の卒業式の時には、転倒してしまいなかなか起き上がれない鈴木孝幸選手の様子をホームビデオで撮影しながら最後まで見守っていたそうです。
大人が子どもを見るとき、特に親の立場になると、この『最後まで見守る』ということが、非常に難しく、簡単なようでなかなかできないものです。
手を出して助けてやりたい気持ちはあっても、将来のことを考えると一人で生きていく力を身につけて欲しい。
『そのためにはどうすればいいか』ということを徹底して行ってこられたのだと思います。
小松洋さんの計りしれない愛情の深さと、祖母からの愛情を素直に感じ受け取った鈴木選手だからこそ今があるのではないかと感じました。
まとめ|鈴木孝幸選手の祖母は元保育園長!両親が失踪の生い立ちが壮絶!
今回は、鈴木孝幸(すずきたかゆき)選手の両親の失踪による壮絶な生い立ちと、育ての親である元保育園園長の祖母についてお伝えしていきました。
突然、女手一つで、鈴木孝幸選手を育てることになった祖母の小松洋さんは、当時保育園の園長でしたが辞職することにしました。
愛情いっぱいながらも、将来自立して生活していけるようにと、他の子たちと同じように時には厳しく教育する祖母の小松洋さん。
そんな祖母の気持ちが伝わっていたからこそ、生まれつきの四肢欠損という重度の障がいや、その他の困難を乗り越えて、鈴木孝幸選手は数々のメダルを獲得できる選手にまで成長したのかもしれませんね。
本日も最後までご覧いただきありがとうございました。
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