こんにちは、ピンキーです!
本日は、先日2度目の全米女子オープンの優勝を果たした、ゴルフの笹生優花選手についてお話していきたいと思います。
笹生選手は『女タイガー(タイガー・ウッズ)』とあだ名がつくほどの選手ですが、
その『過酷で独特な練習方法』にも注目が集まっています。
しかも、その練習メニューを考えているのが、笹生選手の父親で、親子二人三脚で2度の優勝を果たしています。
笹生選手の父親はいったいどういう職業で何歳くらいの人なのか?
また、笹生選手が飛距離を一気に伸ばすことができた、父親考案の『過酷で独特な練習メニュー』とはいったいどのようなものなのでしょうか?
この記事では、
✅笹生優花の父親の年齢は?
✅笹生選手の父考案トレーニングとは?
✅笹生選手とオリンピック【パリ五輪】
について知ることができます。
これらのことが気になる方は、ぜひ最後までご覧ください。
笹生優花の父親の職業や年齢は?
笹生選手の父親は、「笹生正和」さんというお名前です。
年齢は60歳前半~60歳中頃くらいのようです。
正和さんは、かつてJRの職員として仕事をされていましたが、
JRの職員を退職後、退職金を元手にして、千葉で運送業を起ち上げ、
現在は千葉で不動産賃貸業を経営されているそうです。
ゴルフが趣味で、笹生選手がゴルフをはじめたきっかけでもあります。
正和さんはシングルゴルファーということですから、かなりの上級者ということになります。
平均スコアが81打以下のプレイヤー。通常ゴルフスコアが100を下回ると、ゴルフの上手な人という認識なので、ものすごく上手い人です。
笹生選手はフィリピンで生まれましたが、5歳から8歳までの3年間を日本で過ごしました。
その間に、父親の影響もあってか、日本女子プロゴルファーの宮里藍選手に憧れ、プロゴルファーを目指すようになりました。
日本でプロゴルファーを目指すためには、6,000万円~8,000万円必要ともいわれています。
中学時代からジュニアで活躍していると、特待生という道もありますがごく一部の人だけです。
金銭的に日本でプロを目指すのは厳しいと考えた父・正和さんは、物価の安いフィリピンへ移住することを決意したそうです。
フィリピンは、笹生選手の母親の母国で、もともと笹生選手も生まれ育った国なので
全く知らない国ではなかったとういところが移住を決断できたポイントかもしれませんね。
もちろん、父・正和さんは、日本でお仕事もされていたので、日本とフィリピンを1か月ごとに往復するような生活をされており、
移住後の笹生選手を支えながら二人三脚で過酷なトレーニングを行い、現在に至るというわけですから、
いくら娘の夢のためとはいえ、生活を一変させ、娘さんを成功まで導ける気概とパワーのある父親だということがわかりました。
笹生優花の父考案のトレーニングが過酷で独特?
小学2年生から厳しいトレーニングを開始し、基礎練習と下半身の強化を行ってきたそう。
父親が考案した、過酷なトレーニングメニューはテレビでも話題になり、親子でメディア出演もされています。
父考案のトレーニングはたくさんあり、
野球バットの素振りやボクシングなど、ゴルフ以外のスポーツの練習も積極的に取り入れて練習を行っていました。
また、両足に重りを付けたり、ウエイトベストを着てダッシュしたり、
昭和のスポ根(すぽこん)漫画の影響も受けていそうです。
次に、もう少し具体的な練習メニューをみていきましょう!!
父考案の独特なトレーニングメニュー
- 朝5時起床し、30分のランニングとギアを最大にした自転車を30分全力で漕ぐ
- 両足に2.5kgの重り、10kgのウエイトベストを着てダッシュを繰り返す
- 反復横跳び30分
- 80kgのバーベルを担いでスクワット
- ラウンド中500gの重りをつけてプレー
- 毎日1時間の素振り
- 野球の素振りを左右50回ずつ
- シャドーボクシング
どれもハードなトレーニングです。
メニューをみただけでも運動が苦手な私は、1日も持たないことがわかります。
まさに、プロになりたいという強い気持ちと精神力がないと、これらを続けることはできないですよね。
スクワットは成長に合わせて回数を増やし、
中学に入学する頃には1日1,200回ほどをこなしていたそうです。
私だったらすぐにさぼりたくなるので、これ以上回数を増やされないように、ちょっと手を抜いて、わざと回数少な目でやってしまうかもしれないです。
ゴルフはメンタルスポーツと言われますが、このような過酷な訓練の積み重ねが、強いメンタルを作り上げていくことに繋がるのかもしれませんね。
怪我をしない身体作りのために、マッサージなどのケアにも時間を割いたそうです。
最大限のパフォーマンスをすることや、長い目で見たときに、身体のメンテナンスに時間をかけるってめちゃくちゃ大事ですよね。
こうやって練習メニューが開示されて、同じようにすれば笹生選手に近づけるかも!!
って思っても、同じようにメニューをすることだけでも凡人には到底マネできない内容です。
プロってやっぱりすごいですね!!
笹生優花のプロフィールと経歴
引用:X
笹生選手がゴルフを本格的に学ぶためフィリピンに渡ったのが小学2年生の時。
プロに転向したのは2020年1月1日、19歳の時。
2021年まで国際大会はフィリピン代表として出場していましたが、2022年から日本代表として出場しています。
移住後、笹生選手は父親と二人三脚で猛特訓を重ね、アジアや米国のジュニア大会で数々のタイトルを獲得しています。
- <優勝したトーナメントの一部>
2015年 Kartini Cup(タイ、ジュニア大会)
2016年 フィリピンジュニアアマチュア
2016年 フィリピンジュニアアマチュアマッチプレー
2017年 フィリピンアマチュア女子オープンマッチプレー
2017年 フィリピンアマチュアオープン選手権
2017年 フィリピンジュニアアマチュア
2018年 フィリピン女子オープン
2018年 PATSY HANKINS TROPHY(アジアパシフィックチーム代表、団体優勝)
2020年 NES軽井沢72ゴルフ
2020年 ニトリレディス
フィリピンでは敵なしの状態にまでなっていたそうです。
笹生優花とオリンピック【パリ五輪】へ
笹生選手は、前回の東京オリンピックは、
母親の母国であるフィリピン代表で出場しています。
東京オリンピック出場後、日本国籍を選択しているため、
パリ五輪に出場することになれば、今度は日本代表選手ということになります。
笹生選手は、フィリピンで生まれ育っており、日本とフィリピン両方の国籍を選ぶことができます。
ただ、日本では22歳になるまでにどちらかの国籍を選ばないといけないというルールがあるため、日本国籍を選んだにすぎないようです。
笹生選手自身も
「どっちを選ぼうと自分は日本人とフィリピン人」
と話されています。
そのことば通り、どちらを選んだとしても自分自身に変わりはないし、
どちらも両親の出身国として大切だし、
両国とも自分のルーツに違いないというようなメッセージが伝わってきました。
ともかく、全米女子オープンで2度目の優勝という、
日本人の中では男子も含めて初の快挙となる偉業を果たしたばかりです。
今誰よりも波に乗っている笹生選手のパリ五輪出場は、もうすぐそこなのでしょうか?
パリ五輪日本代表は6月24日に決まる!!
女子ゴルフは6月24日時点のランキングを元に出場選手が決定します。
全米オープン優勝によりランキング6位まで浮上し、日本の中でトップとなりました。
しかし、代表決定直前にも海外メジャーの試合が予定されており、結果次第でトップの座を奪われる可能性もあります。
いったいどうなるのか、最後まで目が離せませんね!!
まとめ|笹生優花の父親の職業や年齢は?父考案のトレーニングが過酷で独特?
笹生優花選手の活躍は、父親や家族の支えと、とてつもない本人の努力の結果だということがわかりました。
ギリギリまでわかりませんが、パリ五輪出場の際にはしっかり応援していきたいと思います!!
本日も最後までご覧いただきありがとうございました。
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