こんにちは、ピンキーです!
『特別編集版 鬼滅の刃 遊郭潜入篇』はご覧になられましたか?
鬼の中でもエリートクラスの「上弦の陸(じょうげんのろく)」に属する
「堕姫(だき)」と「妓夫太郎(ぎゅうたろう)」兄妹との戦いになります。
次回は『特別編集版 鬼滅の刃 遊郭決戦編』が放送予定ですが、この『遊郭編』の最後でいつも話題になるシーンがあります。
それは、『堕姫は天国へいったのか?』ということです。
戦いに負けた2人が、魂となってあの世に向かうシーンで、妓夫太郎が堕姫に「お前は明るい方へ行け」と言います。
また、妓夫太郎が死後も鬼の姿のままだったのに対して、堕姫は最後に人間の時の姿である「梅」に戻ります。
この部分もどうしてなのか?疑問が残る場面です。
いろんな考察がありますが、私の中で1番しっくりきているのが、
『天国へ行く可能性があったけど、大好きなお兄ちゃんと地獄へ行った』というところに落ち着きました。
それらを考察するには、堕姫と妓夫太郎の壮絶な過去と兄妹愛について知る必要があります。
鬼滅の刃に出てくる鬼たちは、元は人間であり、人間としての過去があるところもアニメの魅力の一つですよね。
「堕姫と妓夫太郎」兄妹についてみなさんはどう感じましたか?
この記事では、
✔堕姫と妓夫太郎の壮絶な過去と兄妹愛について
✔なぜ堕姫だけ人間の「梅」の姿に戻った?
について考察してみました。
みなさんよろしければ、最後までお付き合いくださいね!!
堕姫(だき)は最後に人間になり天国へ?【鬼滅の刃|遊郭編】
堕姫と妓夫太郎が戦いに敗れた後の最後のシーンに「お前は反対の明るい方へ行け」というやりとりがあります。
「明るい方って天国?」「人を何人も殺めてきたのに天国いけるの?」という疑問を持った方も多いはずです。
明るい方が天国だったかは、明確にはわかりませんが、
あの場面において少なくとも妓夫太郎はそう思っていたのではないかなと思います。
梅(人間の時の堕姫)に妓夫太郎は、冷たい言葉で突き放すようにし、「もうついてくるんじゃねぇ」「兄妹でもなんでもない」「お前は反対の明るい方へ行け」と言い放ちます。
梅だけは明るい方へ進んで、地獄の業火に焼かれるのは自分だけでいいと考えたのだと思います。
しかし、梅は「何回生まれ変わってもアタシはお兄ちゃんの妹になる絶対に!」「一人にしないで!」「ずっと一緒にいるんだもん!」と強く拒否し、妓夫太郎にしがみつきます。
最後は、妹を背負い、地獄の炎の方に歩いて行く妓夫太郎の後ろ姿は人間に戻っていましたね。
これは一体何を意味するのでしょうか。
これから地獄に行こうとも、次は幸せな兄妹として生まれ変わって、2人とも幸せになる・・・
そんなその後を期待してしまいました。
堕姫(だき)の壮絶な過去とは?【鬼滅の刃|遊郭編】
妓夫太郎(ぎゅうたろう)の孤独な幼少期
2人が生まれ育った場所は、「遊郭」の最下層。
母親のお腹にいる頃から何度も殺されそうになり、生まれてからも母親から疎まれ育ちました。
妓夫太郎は、生まれつきの醜い声と容姿を笑われ、罵られ、邪険にされ、忌み嫌われて石を投げつけられ、暴力を受けながらそれでも日々なんとか、必死で生きてきました。
それはとても孤独で過酷な幼少期でした。
最愛の妹「梅」の存在
そんな妓夫太郎の生活に一筋の希望の光が差し込んだのは、妹「梅(うめ)」の誕生でした。
やはり、母親は梅にも暴力を振るうため、妓夫太郎は体を張って、やさしい言葉をかけ、必死に梅を暴力から守りました。
当然、梅はいつも自分を守ってくれる兄のことを慕い、「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と兄のあとをついて回りました。
妓夫太郎はそんな妹の梅をより可愛がり、梅の存在が孤独な妓夫太郎の心を暖かくしていくのでした。
美貌(色)と取立て(金)で人生が好転
忌み嫌われるほどの醜い容姿で生まれた妓夫太郎(ぎゅうたろう)でしたが、妹の梅は大人がたじろぐほどの美貌を持ち合わせていました。
そんな梅が妓夫太郎にとって自慢でもありました。
そのうち、その美しさは花街で評判となり、道を歩いているだけで声をかけられ、笑いかけるだけで物を貰えるほどになりました。
喧嘩が強かった妓夫太郎は、醜さも武器にして、人を恐れさせて、取立ての仕事を始めました。
2人ともが、花街で一目置かれる存在となり、今までのように貧しい思いをしなくて済むようになり、2人の人生がやっと良い方へ好転していく・・・
そんなときに、2人にとって最大の悲劇が起こりました。
深い兄妹愛が招いた悲劇
ある日、妓夫太郎が仕事から戻ると、
全身丸焦げになった梅が、道の真ん中に捨てられていました。
瀕死の状態で、すでに虫の息です。
いったい何があったのか??
その日、客としてやってきた侍が、兄を侮辱したことを許せずに、目玉をかんざしで突いて失明させてしまい、
その報復として、梅は縛り上げられ生きたまま焼かれるという、残酷な仕打ちを受け、道の真ん中にゴミのように捨てられるという目にあってしまったのでした。
生まれてからずっと、誰からも何一つ与えられなかった人生で、
唯一生きる喜びであった最愛の妹を奪われたことに怒り狂った妓夫太郎。
その背後から突然、片目を失明した侍が切りつけてきました。
梅が勤めていた置屋の女将が、妓夫太郎を厄介者扱いし、侍に始末するように依頼していました。
しかし、やられっぱなしの妓夫太郎ではありません。
女将と侍を鎌で切りつけ殺害します。
復讐を果たした妓夫太郎でしたが、丸焦げの妹を抱え、自分も手傷を負った体で、吉原の町に倒れます。
誰ひとり助けてくれる人間はおらず、追い打ちをかけるように、冷たい雪が降り始め、いよいよ2人の命の灯火が消えてしまう・・・
そんな時にあらわれ、2人に血を分けて助けたのが、のちの『上弦の弐』であるスーパーエリート鬼『童磨(どうま)』でした。
こうして、堕姫と妓夫太郎は鬼となったのです。
死の間際で鬼になること以外の選択肢がなかった妓夫太郎でしたが、しぶしぶというわけではなく、むしろ望んで鬼となっていきました。
その場面の妓夫太郎の一節です。
鬼になったことに後悔はねぇ
俺は何度生まれ変わっても必ず鬼になる
幸せそうな他人を許さない
必ず奪って取り立てる妓夫太郎になる
引用:鬼滅の刃11巻より
堕姫(だき)だけなぜ人間の姿に戻ったのか【鬼滅の刃|遊郭編】
妓夫太郎(ぎゅうたろう)が死後も鬼の姿のままだったのに対して、堕姫(だき)は最後に人間のときの姿である「梅」に戻ります。
見ていて、「なぜ一人だけ??」という違和感を感じた方も多いのではないでしょうか?
堕姫だけ人間の姿に戻ったわけではなかった!!
この話は逆で、妓夫太郎が鬼の姿のままだったことが特別だったと考えられます。
「那田蜘蛛山編(なたぐもやまへん)」のラスボスの鬼である累(るい)も
戦いに敗れた最後、死の淵で鬼から人間の時の姿に戻っていました。
それ以外でも、戦いに敗れた鬼は、最後に人間の時の記憶を取り戻し、人間の姿に戻っています。
なので、堕姫(だき)だけ人間の時の「梅」の姿に戻ったというよりは、
兄の妓夫太郎(ぎゅうたろう)が、「死後も鬼のままだった」ということの方が特別だったと考えるほうが、自然な流れになると考えられます。
妓夫太郎だけ鬼の姿のままだった理由は?
そうなると次は、なぜ妓夫太郎だけが鬼の姿のままだったの?という疑問がわいてきますよね。
それは、前述したことも関係していると考えています。
妓夫太郎(ぎゅうたろう)は、「何度生まれ変わっても必ず鬼になる」と言っています。
「もう奪われるのはたくさんだ!!奪われるのではなく、人間から奪う鬼に望んでなってやる!!」ということを強く願っているように感じました。
それくらい「人間」に対する恨みは根深く、唯一の幸せの象徴だった「梅」までもを残酷なやり方で奪った「人間」になど戻りたくなかったのではないでしょうか。
しかし、はじめにも書いたとおり、最後は、梅を背負って炎の方へ向かって歩く後ろ姿は、人間の妓夫太郎に戻っていました。
最愛の妹「梅」とずっと一緒にいるために、戻りたくなかった「人間」の姿に戻ったと捉えることもできるかもしれませんね。
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