こんにちは、ピンキーです!
本日は、吉本興業の最年長ピン芸人である『おばあちゃん』についてお話していきたいと思います。
『おばあちゃん』は、2018年に東京NSCに24期生として入学し、2023年に『神保町よしもと漫才劇場』の所属メンバーとして76歳で劇場デビューをされています。
劇場だけでなく、『華大さんと千鳥くん』や『激レアさんを連れてきた』などテレビ出演もされており、
7月6日(土)関西テレビの深夜放送『さんまのお笑い向上委員会』では、親友認定されている『エルフ荒川』さんや
主治医とおばあちゃんでコンビネタをしている『しゅんしゅんクリニックP』さんも出演しており、
この3人がテレビで揃って見れるのはめちゃめちゃ嬉しい限りです!!
それにしても芸人『おばあちゃん』は、
- なぜ70歳を超える年齢で芸人を目指したのか?
- 生い立ちや経歴など、いったどのような人生を歩んできたのか?
- 旦那さんや子供・兄妹や家族の反対はなかったのか?
などなど気になることがたくさんあったので調べてみることにしました!!
この記事では、
✅夫や子供など家族構成
✅経歴(どのような人生を歩んできた?)
✅なぜ芸人になったのか
✅ネタはどんなの?
について知ることができます。
これらのことが気になる方は、ぜひ最後までご覧ください。
おばあちゃん芸人の本名や出身大学は?wiki風プロフィール
2024年2月12日にめでたく喜寿(きじゅ) を迎えた芸歴5年目の『おばあちゃん』ですが、
『おばあちゃん』はあだ名ではなく芸名です。本名や出身大学などについて調べてwiki風プロフィールにまとめてみました!
おばあちゃん子狂喜乱舞のおばあちゃん芸人おばあちゃん
はやくおばあちゃんとばちばちライブ出たいhttps://t.co/TL55PFGYep @YouTubeより pic.twitter.com/8WWWI5CLOd— オダウエダ 植田 (@odaueda) June 5, 2023
おばあちゃん芸人の本名は?
本名は沖原タツヨ(おきはら たつよ)さんと言います。
お笑いは子供のころから好きで、中田ダイマル・ラケット、花菱アチャコ・横山エンタツ、京唄子・鳳啓助などのしゃべくり漫才を聞いて育ったそうです。
有名人ばかりなので名前はなんとなく聞いたことはありますが、さすがにリアルな漫才は見たことがないメンバーばかりですね。
おばあちゃん芸人の学歴・出身大学
もともと最終学歴は中学卒業で進学希望があったものの両親の反対を受け、造船所へ就職されています。
昭和30年代前半は、就職を重視するなら中学卒業で職に就く方が有利であるとの考え方が強かったそうです。
昭和30年代中頃でも中学卒業後に進学するのは55%前後となっており、時代背景が今とは違っていたことがわかります。
しかし学びたいという気持ちをずっと持ち続けてきたおばあちゃんは、働きながら通信制高校・短期大学を卒業。
47歳で放送大学に入学後、乳がんという自身の経験から研究発表などを行い卒業をされています。
何歳になっても自分のやりたいことや夢を持ち続けてそれを実現しようとする強い意志を感じますね。
見た目は穏やかなおばあちゃんですが、芯は強い人でないと実現できる内容ではないですよね。本当にすごいです!
おばあちゃん芸人の経歴と人生
調べてみると、77歳のおばあちゃん芸人は、家族の介護や自身の乳がんなど「波乱万丈」の人生でした。
<経歴>
- 1985年(38歳)ステージ4の乳がん手術
- 1986年(39歳)術後1年後、卵巣に転移
- 1992年(45歳)子宮に転移、父が胃がんで他界
- 1994年(47歳)放送大学教入学「乳がん手術後の発汗と下着について」の卒業論文をまとめる
- 1998年(51歳)日本家政学会で研究発表
- 2002年(55歳)58歳の兄が難病により失明し介護を始める
- 2018年(71歳)東京NSC24期生として入学
- 2019年(72歳)吉本興業よりプロデビュー
ステージ4の乳がん
ステージ4の乳がんというと5年生存率が38.7%、10年生存率は19.4%というかなり進行した状態です。
しかも乳がんはリンパ節を通して他の臓器に転移していく可能性が高く、38歳と年齢も若いときなので進行も早かったはずです。
そういったことから考えてもステージ4の乳がんとの戦いはかなり辛い体験だったと想像できます。
しかも胸や卵巣など女性としての象徴である場所であったことは苦しみも倍増だったのではないでしょうか。
父親との死別
またさらに追い打ちをかけるように、父親を胃がんで亡くされているんですね。
ただその2年後に放送大学に入学し、乳がんに関する卒業論文や発表などを精力的に行われています。
私だったら気持ちがへこたれて立ち上がれないかもしれません。
しかしおばあちゃんは、自分の辛かった経験を活かして世間に伝えるという役割を果たされました。
家族や大学の教授など周囲の助けもあったと思いますが、それも本人が自分の足で立ち上がり前に進もうとする姿勢があったからこそ受けられたサポートだったのだろうと思います。
兄の失明と介護
そんな中、3歳上の兄が難病により失明し、それ以降お兄さんの介護をすることになります。
当時の年齢は55歳なので、ご自身も現役で仕事をしながら介護もされていたということですね。
現在は介護施設で暮らしておられるそうです。
ちょっとスピリチュアル的な話ですが、よく『乗り越えられる人に試練は訪れる』という話を聞きますが、
試練が訪れている本人からすると、そんな勝手な話あるか!!と思ってしまいそうなほど、本当に波乱万丈な人生と言えそうですね。
おばあちゃん芸人の夫・子供など家族について
苦労が絶えなかったように見える波乱万丈な人生を送ってきた『おばあちゃん』ですが、
夫や子供など現在の家族構成についても調べてみました!!
旦那(夫)や子供は?
親が決めた相手と20代で結婚。子供には恵まれなかったそうで、夫婦共働きで生活をされ学費などをためて進学しました。
定年を迎えたときに、今後をどう生きるかということを旦那(夫)と話し合ったときに、
旦那さんは、趣味の釣りをすると言ったので「じゃあ、私は吉本いくわ」という話になったそうです。
旦那さんはきっと驚かれたのではないでしょうか。それとも「ああ、妻が言いそうなことだな」と思ったのでしょうか。
ご主人サイドの話も聞いてみたいですね!!
旦那さんは5年ほど前に肺がんの手術を受けて、現在は自宅療養をされているそうです。
おばあちゃん芸人のネタはどんなの?
おばあちゃんのネタは、年寄りの日常を皮肉った『シルバー川柳』が得意で、
『綾小路きみまろ』を手本にしており、『女きみまろ』を目指しているそうです。
ネタを見たことがありますが、普通に面白くて、『女きみまろ』を目指していたと知って、「なるほど」と納得させられるよな芸風です。
おばあちゃんのネタをご覧になりたい方は参考リンクをどうぞ!!
おばあちゃん芸人が面白い理由は父親が影響?
おばあちゃん芸人こと沖原さんの父親はサラリーマンだったそうですが、
ギターやマンドリンなどを弾き、笑いの絶えない家族だったそうです。
調べていくと、父親のおもしろいエピソードを見つけました。
菓子箱のクッキーを取ると、「百円払え」とか「毒入り」などと書いたメモが張ってあったり、「無料動物園に行くぞ」と言って競馬場に赴き、柵の隙間からレースをのぞき見たり…。
このエピソードだけでもユニークな遊び心のあるお父さんだったことがよくわかります。
おばあちゃんも、「父はユーモアのセンスがあった」と話しておられます。
このように幼少期から人を笑わせることの楽しさに触れて生活していたことが、
現在の最年長の若手芸人『おばあちゃん』誕生に繋がっているのかもしれませんね。
芸人になった理由は?
中学時代に演劇部員で、長年勤めた造船会社を退職後に高齢者劇団に出会います。
もっと芝居のことを学びたいと考えていたところ、友人の息子から吉本の放送作家コースを教えてもらい、
舞台の勉強をするために「吉本総合芸能学院」(NSC)に入学し芸人としての人生がスタートすることになったそうです。
『おばあちゃん』の原動力はいつも、知りたい・学びたいという強い気持ちと行動力なのですね。
おばあちゃん芸人のコンビ活動や仲良しギャル芸人「エルフ荒川」との動画・同期芸人について知りたい方は関連記事もご覧ください!!
まとめ|おばあちゃん芸人の本名や夫・子供など家族構成&経歴を大調査!
今回は、吉本の77歳最年長の若手芸人『おばあちゃん』の家族や経歴、なぜ芸人になったのかなどについて調べてみました。
77歳で吉本芸人になって舞台に立とうとする方なので、普通の人生を送っているとは思いませんでしたが、なかなか濃くて波乱万丈な人生でしたね。
『おばあちゃん』(沖原タツヨ)さんの人生を見ていると、好奇心が強くて、知識を高めたり、学ぶことに楽しみや喜びを感じ、向上心が強い人なのだろうということがわかりました。
「本当にやりたいことなら、いくつになったってできるでしょ。貧乏だ、病気だ、年だ、時代だって言い訳したって仕方がない。これまで生かしてもらったことに感謝しながら、生きてる今を楽しみたい。笑うチャンスを逃さないで」
引用:東京新聞 Tokyo web
と語っておられます。
その通りの人生を送っておられる『おばあちゃん』だからこそ、心に響くものがありますね。
歴代最高齢の若手芸人さんがいる時代に生まれたことに感謝します!!
本日も最後までご覧いただきありがとうございました。
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