こんにちは、ピンキーです!
本日は、パリパラリンピック・男子シングルスで金メダルを獲得した小田凱人(おだ ときと)選手についてお伝えしていきたいと思います。
2024年、18歳で初出場したパラリンピックで金メダル(シングルス)、銀メダル(男子ダブルス)の2つのメダル獲得は感動的でしたよね。
車いすの車輪を外して倒れるパフフォーマンスが話題となり記憶に残っている人も多いのではないでしょうか。
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9歳で癌となり夢だったサッカー選手をあきらめ車いす生活となった小田選手。
小学3年生という幼少期に人生の大きな壁にぶち当たり、逆境を乗り越え、メダリストとなるには、
プレイヤーとしての能力だけでなく、メンタルやマインドの強さも兼ね備えていたからだと思います。
- その強さの秘訣はいったいなんなのか?
- 両親の教えや育て方など教育方針により培われたものなのではないか?
とおもい幼少期の生い立ちやどのように両親から育てられたのか知りたくなりました。
この記事では、
✅小野凱人の経歴(戦歴や成績)
✅母親・父親の教育方針や育て方
✅幼少期の両親の教え
などについて知ることができます。
これらのことが気になる方は、ぜひ最後までご覧ください。
小田凱人のwikiプロフ ~名前の由来と名言~
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「凱人(ときと)」という名前をすぐによめた人は少ないのではないでしょうか。
名前の由来は、パリの凱旋門をイメージして「凱」という文字をつけたそうです。
しかも「凱」という字は「勝ちどき」という意味があるそうで、パリパラ五輪で金メダルをとったことに何か運命的なものを感じてしまいました。
名前には「勝どきを上げる」という意味が込められているそうです。
「マジで俺は今日、確定したことがある。俺はこのために生まれてきた。ここで優勝するために、金メダルを取るとるために俺は生まれてきました」
この言葉を放った小田選手本人と、それを聞いていたご家族の気持ちはどのようなものだったのでしょうか。
私自身このセリフを聞いたときは、まさにこの言葉通りなのだろうと感じました。
小田凱人の生い立ちは?
姉と弟との3人兄弟の真ん中として生まれた小田少年は、好奇心が強く、明るく朗らかな性格で、スポーツが得意。将来はプロサッカー選手になる夢を持っていました。
9歳で癌が発症!
サッカーが大好きで、プロサッカー選手になる夢を持っていた小田少年は、9歳のときに”骨肉腫”という癌を左足に発症しました。
癌を取り除くため、左股関節を人工関節に変え、大腿骨の一部も削ったため、車いす生活を余儀なくされ、プロサッカー選手の夢はあきらめざるをえないという現実を突きつけられることになりました。
小田選手のインスタグラムの投稿の一節にこのような表現があります。
この日を境に 全てが変わり 多くの物を失い そして それ以上の多くの物を手に入れた
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小学3年生のまだ幼い少年が直面するには辛い現実だっただろうと思いますが、どんなに辛かったかは想像もつきません。
入院中の病室のテレビで観た車いすテニスの選手『国枝慎吾』さんに魅了され勇気と希望をもって新しい世界に進んでいくことになります。
小学校の作文では、すでに「車いすテニスで世界一になる」と書かれていたそうです。
どんな過酷な運命でもそれに立ち向かう勇気や、自分自身を信じる強さを感じました。
2度の転移からの復活!
新しい目標を見つけた小田でしたが、さらに過酷な運命に翻弄されてしまいます。
癌が2度にわたり肺などに転移。
しかしそれも乗り越え、10歳で本格的に車いすテニスを開始することになりました。
「9歳で発症し手術や転移を乗り越え10歳で車いすテニスを開始」
ものすごく短期間で自分を持ち直し、新たな目標に向かって前向きに動きだしているように見えますね。
しかし、術後は痛みで毎日泣いていたそうで、一番つらかったのはサッカーができなくなるということだったそうです。
車いすテニスの道に進んだ小田少年は、驚異的なスピードで周囲を驚かせながら、トップアスリートとしての道を歩み始めます。
小学校~中学・高校生時代
- 出身中学校『一宮市立瀬部小学校』
- 出身中学校『一宮市立西成中学校』
- 出身高校『角川ドワンゴ学園N高等学校』
小学校と中学校は地元の愛知県一宮市にある学校に通っていました。
高校は全国にキャンパスがあり通信制高校のある『N高等学校』へ進学しました。
『N高等学校』ではアスリートクラスがあり、オンラインで学ぶことができるシステムがあります。
すでに世界で活躍していた小田選手にとっては最適な学校だったのかもしれませんね。
2023年・17歳の時には史上最年少で「全仏オープン」を優勝などの活躍を見せています。
有言実行で着実に夢への階段を上っている小田選手がカッコいいですね!!
もう少し詳しい戦歴や成績は次の項目にまとめました。
小田凱人の主な戦歴や成績
ここでは、小田選手の主な成績や戦歴についてまとめています。
主な成績を調べていると、数々の最年少記録を打ち出していたことがわかり、あらためてその凄さを感じました!!
パリパラ五輪で、世界ランキング1位の選手から逆転勝利したときに話題となった名言「やばい・・・カッコよすぎる、俺」には心から同意って感じです!!
- 2020年 世界Jr.マスターズ単複優勝(最年少/13歳8か月25日)
- 世界ジュニアランキング1位(最年少/14歳11か月18日)
- 2022年6月 「全仏オープンGS」出場(最年少/16歳23日)
- NEC WHEELCHAIR SINGLES MASTERS優勝(最年少/16歳5か月29日)
- ITF車いすテニス世界ランキング1位(最年少/17歳35日)
- 2023年1月 「全豪オープンGS」準優勝
- 2023年6月 「全仏オープンGS」優勝(最年少/17歳33日)
- 2023年7月 「全英オープンGS」優勝
- 2024年1月 「全豪オープンGS」優勝
- 2024年8月 パリパラリンピック単金メダル(初出場/最年少/18歳4か月21日)
小田凱人の父親・母親の幼少期の教育方針や育て方は?強い理由は両親の教えがすごいから!
「夢や目標は常に口に出す」
「新しい時代を築くだけの力が僕にはある」
「車いすテニスを始めた当初から『世界一になれる』と思って行動していた」
「世界一ならこういうプレーや行動をするだろうと常に想像しながらやっていた」
これらはすべて小田選手の言葉です。
小田選手の名言はまだまだたくさあんありますが、共通して感じることは、
『自分で自分を信じきる力が凄い』といういうことです。
こういった小田選手のメンタルの強さや人となりを形成する要因の一つは、やはり両親の教育方針や育て方が大きく関わっているようです。
小田選手本人も「両親の教育は、メンタリティや試合の運び方にすごく影響している」と語っています。
- 父親・母親ともが「お前ならできる」と常に言っていた。
- またできなかったときは「なぜできないんだ」というような教育方針だった。
その子の性格によっては、より落ち込ませることになってしまいそうな声かけですよね。
一見厳しそうに聞こえる声かけですが、そのほうがきっと小田選手にとってはプラスに働くと考えてのことだったのだと思います。
また、両親ともに同じ方向を向いて、同じ教育方針で統一されてきたこともよかったのかもしれませんね。
幼少期からそのような育て方をされてきたため、そのうち自分でも「(自分に)できないわけがない」という思考になっていったそうです。
2023年6月の「全仏オープンGS」で、17歳 最年少で初優勝した直後にビデオ通話で両親と話しをした際に「お前ならできると思った」と言われたそうです。
だれもが同じ教育方針でメンタルやマインドが強くなるわけではないでしょうが「親がいつでも子供のことを信じている」ということは伝わりそうですよね。
こうして今私たちが目にする小田凱人選手が出来上がったというわけですね。
なんだが納得しました!!
まとめ|小田凱人の両親(父親・母親)の幼少期の教育方針や育て方は?強い理由は両親の教えがすごいから!
こんにちは、ピンキーです!
本日は、パリパラ五輪で金メダルを獲得した小田凱人(おだ ときと)選手のプロフィールや生い立ち・数々の最年少記録を打ち出した戦績などを紹介しました。
また小田選手の強さの理由に、両親の教えや教育方針・育て方などが関係しており、小田選手のメンタルの強さと成績につながっていることもわかりました。
小田選手はまだ18歳と若く、これからもっと私たちを感動させてくれるようなプレーを見せてくれると思っています。
またそういったカッコいい小田選手の姿をみて、かつて自分が国枝選手に憧れたように、
未来の車いすテニスプレイヤーの子供たちに、これからも夢を与えていくのだろうと思います。
本日も最後までご覧いただきありがとうございました。
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